無題ドキュメント
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ラブソング・フォー・ミー
2001/06/03
この国にまだ戦場が残っているとしたら、それはカラオケボックスをおいて他にない。そう考えるのは世界でも私だけかも知れないが。
誰がなんと云おうと、カラオケボックスは戦いの場なのである。高校生になって、初めてカラオケボックスに行ったとき、この世にこのような素晴らしい場所があったのかと感動すると同時に、ふと周りに座している同級生達を見回して思ったのだ。「此奴等は敵だ」。
幼少の頃から、歌うのは好きだった。子どもというのはたいがい、歌うのが好きなものであるが、たいていは小学校高学年から中学校に入学する頃にかけて、人前で歌うのを気恥ずかしく感じるようになるものだ。とりわけ、音楽の時間に習う合唱歌など、真面目に歌う者は10人中1人いれば良い方だろう。その10人の中にいるかいないかの1人が、私だった訳である。いや、私の場合はただ歌うだけでは飽きたらず、鼻濁音や腹式呼吸、果てはヴィブラートにまで果敢にチャレンジするほど、歌の技巧を研究することに余念が無かった。中学2年の時のクラス対抗合唱コンクールで、指揮者に選ばれたときは、人知れず臍を噛んだ。指揮者は歌えぬではないか。この私抜きでコンクールを戦わねばならぬとは、げに不幸なる事よ。図らずもその年の合唱コンクールは、我がクラスが総合優勝を勝ち取った。これは今でも私の大きなトラウマの一つである。
はてさて、そんな私がカラオケボックスなるものとの邂逅を果たしたとき、始めはただただその素晴らしさに胸を打たれるばかりであったが、次第にあることに苛立ちを覚え始める自分に気づいていた。
それは、歌う順番は厳守せねばならぬということだ。始めは皆、好き勝手な順番で曲を入れるが、全員が1曲ずつ入力し終えるまでは、次の曲をセットすることは許されない。誰かに制止されるわけではないのだが、お天道様が黙っちゃいねぇ、という雰囲気が漂いまくっているのである。いわゆるひとつの韓国の領海、もとえ暗黙の了解という奴なのだ。
これが非常にストレスが溜まる。何せ私は、自分が歌うのは好きだが、人の歌を聴くのはあまり好きではない。それどころか、苦痛ですらある。歌の順番が進むごとに、「あと○回で俺の番だ…」と、ひたすらそのことしか頭に無い。以前、歌ってる途中で「あ、俺やっぱこの歌やめるわ。割り込みで別の曲入れるね」などと云い出す輩がいたが、もしも私が日頃帯刀していたなら、即座にその頸がカラオケボックス内を転がっていたはずだ。
さて、ようやく回ってきた自分の番だが、まだ油断はできない。カラオケボックス内では、人が歌ってるにも関わらず、無為なお喋りに興じたり、携帯電話でメールを打っていたり、歌本を必死に読みあさっていたりする輩がいくらでもいるのである。言語道断斎藤道三だ。しかし、だからと云って「お前等!俺の歌を聴け!」などと上司を含むメンバーの前で叫んでしまっては、翌日から周囲の視線が胡瓜よりも冷たくなることは請け合いだ(経験談)。そのような輩に、なんとしても自分の歌を聴くようし向ける為に、私は様々な工夫をしている。
まず、歌うときは必ず立ち、さらにモニタを見ない。これは結構インパクトがあるようで、一種の曲芸の様な扱いを受けている。良く聴く歌の歌詞など、自然に覚えてしまう私には造作も無いことなのであるが。また、歌ごとにその歌手の特徴を捉え、歌い方の癖を真似てみる。物まねのようになってしまうとウケ狙いのように取られかねないので注意が必要だ。一度歌った歌は、同じ人の前では二度と歌わない、というのも心がけている。どのメンバーの前でどの歌を歌ったかを正確に記憶する必要がある。英語歌、さらにはラップなどをマスターしてみるのも一興だ。選曲がマニアックすぎて、必死にマスターしたラップの歌が、いつまで経ってもどのカラオケにも登録されずに、歯痒い思いをしたこともあったが。
このように、カラオケボックスとは戦場なのだ。一度掴んだマイクは二度と離さねぇ、くらいの心持ちで挑んで戴きたい。かくいう私は、ここのところ連戦連敗中である。やはりアニメソングは一般受けがよろしくないようだ。
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F.S.S.S.S.
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,
MySQL
,
PHP3
, and
GD
All script and database designed by
Shinji Wakasugi
誰がなんと云おうと、カラオケボックスは戦いの場なのである。高校生になって、初めてカラオケボックスに行ったとき、この世にこのような素晴らしい場所があったのかと感動すると同時に、ふと周りに座している同級生達を見回して思ったのだ。「此奴等は敵だ」。
幼少の頃から、歌うのは好きだった。子どもというのはたいがい、歌うのが好きなものであるが、たいていは小学校高学年から中学校に入学する頃にかけて、人前で歌うのを気恥ずかしく感じるようになるものだ。とりわけ、音楽の時間に習う合唱歌など、真面目に歌う者は10人中1人いれば良い方だろう。その10人の中にいるかいないかの1人が、私だった訳である。いや、私の場合はただ歌うだけでは飽きたらず、鼻濁音や腹式呼吸、果てはヴィブラートにまで果敢にチャレンジするほど、歌の技巧を研究することに余念が無かった。中学2年の時のクラス対抗合唱コンクールで、指揮者に選ばれたときは、人知れず臍を噛んだ。指揮者は歌えぬではないか。この私抜きでコンクールを戦わねばならぬとは、げに不幸なる事よ。図らずもその年の合唱コンクールは、我がクラスが総合優勝を勝ち取った。これは今でも私の大きなトラウマの一つである。
はてさて、そんな私がカラオケボックスなるものとの邂逅を果たしたとき、始めはただただその素晴らしさに胸を打たれるばかりであったが、次第にあることに苛立ちを覚え始める自分に気づいていた。
それは、歌う順番は厳守せねばならぬということだ。始めは皆、好き勝手な順番で曲を入れるが、全員が1曲ずつ入力し終えるまでは、次の曲をセットすることは許されない。誰かに制止されるわけではないのだが、お天道様が黙っちゃいねぇ、という雰囲気が漂いまくっているのである。いわゆるひとつの韓国の領海、もとえ暗黙の了解という奴なのだ。
これが非常にストレスが溜まる。何せ私は、自分が歌うのは好きだが、人の歌を聴くのはあまり好きではない。それどころか、苦痛ですらある。歌の順番が進むごとに、「あと○回で俺の番だ…」と、ひたすらそのことしか頭に無い。以前、歌ってる途中で「あ、俺やっぱこの歌やめるわ。割り込みで別の曲入れるね」などと云い出す輩がいたが、もしも私が日頃帯刀していたなら、即座にその頸がカラオケボックス内を転がっていたはずだ。
さて、ようやく回ってきた自分の番だが、まだ油断はできない。カラオケボックス内では、人が歌ってるにも関わらず、無為なお喋りに興じたり、携帯電話でメールを打っていたり、歌本を必死に読みあさっていたりする輩がいくらでもいるのである。言語道断斎藤道三だ。しかし、だからと云って「お前等!俺の歌を聴け!」などと上司を含むメンバーの前で叫んでしまっては、翌日から周囲の視線が胡瓜よりも冷たくなることは請け合いだ(経験談)。そのような輩に、なんとしても自分の歌を聴くようし向ける為に、私は様々な工夫をしている。
まず、歌うときは必ず立ち、さらにモニタを見ない。これは結構インパクトがあるようで、一種の曲芸の様な扱いを受けている。良く聴く歌の歌詞など、自然に覚えてしまう私には造作も無いことなのであるが。また、歌ごとにその歌手の特徴を捉え、歌い方の癖を真似てみる。物まねのようになってしまうとウケ狙いのように取られかねないので注意が必要だ。一度歌った歌は、同じ人の前では二度と歌わない、というのも心がけている。どのメンバーの前でどの歌を歌ったかを正確に記憶する必要がある。英語歌、さらにはラップなどをマスターしてみるのも一興だ。選曲がマニアックすぎて、必死にマスターしたラップの歌が、いつまで経ってもどのカラオケにも登録されずに、歯痒い思いをしたこともあったが。
このように、カラオケボックスとは戦場なのだ。一度掴んだマイクは二度と離さねぇ、くらいの心持ちで挑んで戴きたい。かくいう私は、ここのところ連戦連敗中である。やはりアニメソングは一般受けがよろしくないようだ。