無題ドキュメント
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ノーバディ・キャン・ストップ・ミー
2001/09/02
今更何を、と云われるかもしれないが、私はゲーマーである。
ゲーマーといっても、ゲームを生業に、という領域までには残念ながら至っていないが、私自身のレゾンデートルであると断言しても差し支えないほどだ。ゲームのために働き、稼ぎ、生きているのである。街頭インタビューで「あなたの生き甲斐はなんですか」と問われれば、ごく当たり前のように「ゲームです。それ以外にはありません。ゲーム・オア・ナッシング」と涼しい顔で答えるだろう。
だが、そんな私にも、ゲームから遠ざかっていた時期はあった。それは、1998年に就職してから今年の夏に至るまでの3年と少しである。そう、勘の良い方ならお気づきかもしれないが、1993年末に『バーチャファイター』が発売されてから、94年『バーチャファイター2』、95年『バーチャファイター2.1』、96年『バーチャファイター3』、97年『バーチャファイター3tb』と立て続けに発表されてきたシリーズが途絶えていた、空白の期間なのである。
思えば、バーチャファイター(以下VF)との出会いは、大学受験を間近に控えた高3の冬だった。それまでは当たり前のように2D格闘ゲームに興じていた私にとって、その「3D格闘」という全く新たな試みは、あまりにも衝撃的であった。なにしろ3Dなのである。ポリゴンなのである。グーローシェーディングにテクスチャーマッピングなのである。あ、これはVF2以降からか。遺憾ながら私の貧弱な語彙では、その感激を余すことなくお伝えできないのが心苦しくはあるが、とにかくその画面の中では、確かに生きたキャラクター達が存在していた。たとえ顎やら指やら踵やらが刺さるんじゃねぇのかよというほど鋭利に研ぎ澄まされていようとも、たとえラウの斜上掌をカウンターで食らったパイが風船のように宙を舞っていようとも、たとえ全てのキャラクターのジャンプ力が2mを遙かに超えていようとも、生きているったら生きているのである。
そんなこんなでセガAM2研の目論見通りにVFにハマった私は、その後も次回作が出るたびに、順当にハマり続けていくこととなる。VF2を初めて見たときは、身震いすら覚えた。これを超えるゲームがこの後登場するのかとすら訝しがった。まだWebが普及していなかった当時、隠し技情報はNewsgroupが一番早かったので、大学での情報処理の講義中は、ひたすら
fj.rec.games.video.arcade.kakutou
を読み漁ったものだ。旅先では必ずゲーセンを探し、「一人全国行脚」などと勝手に思いこんでいたりもした。実際には全国各地で負けを重ねていただけだったが。
そして、VF3のロケーションテストが執り行われているとの噂を聞きつけたときは、唯一の開催地であるお台場まで足を運んだ。その究極とも思えるグラフィックに圧倒されつつ、またも負けを重ねまくっていた。VF3が全国リリースされた後は、自分のサイト内に攻略ページまで立ち上げたほどだ。今読み返してみると、誰が読むんだこんなヘタレ攻略、と自嘲的な笑いを禁じ得ないような内容ではあるが、若気の至りということでご容赦頂きたい。
VF3tbがリリースされてからしばらくたった後、私は就職し、以前のように毎日ゲーセンとはいかなくなった。それから数年、VFシリーズの新作の噂はちょくちょく耳にしたものの、現物がお目見えすることはなかった。そしてゲーセンでは、リズムに合わせて叩いたり飛んだり跳ねたり振ったり踊ったりするような軟派なゲームどもが幅を利かせていた。格闘ゲームも絶滅したわけではないものの、一時期のような破竹の勢いは完全に失われていた。「俺もそろそろ、ゲーム人生卒業かな」。そう考えたりもしながら、マーヴルVSカプコン2で小学生にボコボコにされるような無為な日々を過ごしていた。
しかし、それは遂に姿を現した。満を持して。『
バーチャファイター4
』。夢にまで見、待ち望んでいたものが、現実となる日が訪れたのだ。
7月中旬、幸運にも私の会社からほど近いゲーセンが、全国10カ所程度のロケテスト開催地の一つに選ばれていた。仕事も早々に切り上げ(たことにして)、はやる心を抑えつつ、広島GIGOへと向かう。そこには紛れもなく「彼ら」がいた。アキラと愉快な仲間達。それに聞き慣れた「フッフッハッ!」「イーン!」「オイエー!」等の叫び声。帰ってきたんだね…君たちも。そして僕も。などと感慨に浸る間もなく、私の精神テンションは強引に学生時代に引き戻された。日々の全てを100円玉に賭けていた、あの当時にだッ!冷酷!残忍!その俺が貴様等を倒すぜッ!…との叫びも空しく、私の操るラウはことごとくリング(もしくはリング外)に血反吐をぶちまけていた。やはり気力だけで勝てたら苦労は無いのである。
その日以来、私の生活は再びゲーセンを中心に回りだした。平日はいかにして移動の合間に「ゲーセン時間」を組み込むかを試行錯誤し、場合によっては打合せに遅刻もやむなしの心構えである。先週などあやうく新幹線に乗り遅れる所であった。終電に乗り遅れたことならすでに何度かあるが。また、買い物をするときには、なるべく100円玉が多くもらえるような支払い方をするよう留意する。たとえば、650円の買い物をするときは、1,150円ではなく1,050円支払う、といった具合に。さすがに、「あの、お釣りの1,000円を札じゃなくて全部100円玉でもらえませんか」とまで云う度胸はまだ無い。そして、出張等の際にはあらかじめ行き先の都市のゲーセンを全てチェックしておく。すでに広島・三宮・池袋・渋谷・横浜の各VF4設置店はほぼ網羅した(そしてそのほとんどで負け数を積み重ねていった)。今後も全国各地のゲーセンで、(私自身の)恐怖の悲鳴を轟かせてゆくことだろう。
ただ、一つだけ残念で仕方がないのが、VF1の頃から現在に至るまで、最良のVF仲間であり、ライバルであった友人の一人を、永遠に亡くしてしまったことである。それがVF4ロケテリリースの直前であったのが、なんとも悔やまれる次第である。彼にVF4のその画面(特にサラの揺れる乳)を、一目見せたかったのだが―。などと云ってももはや詮無きことなので、今日も私は一人ゲーセンに向かう。二人分の
VF.NETアクセスカード
を持って。
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ゲーマーといっても、ゲームを生業に、という領域までには残念ながら至っていないが、私自身のレゾンデートルであると断言しても差し支えないほどだ。ゲームのために働き、稼ぎ、生きているのである。街頭インタビューで「あなたの生き甲斐はなんですか」と問われれば、ごく当たり前のように「ゲームです。それ以外にはありません。ゲーム・オア・ナッシング」と涼しい顔で答えるだろう。
だが、そんな私にも、ゲームから遠ざかっていた時期はあった。それは、1998年に就職してから今年の夏に至るまでの3年と少しである。そう、勘の良い方ならお気づきかもしれないが、1993年末に『バーチャファイター』が発売されてから、94年『バーチャファイター2』、95年『バーチャファイター2.1』、96年『バーチャファイター3』、97年『バーチャファイター3tb』と立て続けに発表されてきたシリーズが途絶えていた、空白の期間なのである。
思えば、バーチャファイター(以下VF)との出会いは、大学受験を間近に控えた高3の冬だった。それまでは当たり前のように2D格闘ゲームに興じていた私にとって、その「3D格闘」という全く新たな試みは、あまりにも衝撃的であった。なにしろ3Dなのである。ポリゴンなのである。グーローシェーディングにテクスチャーマッピングなのである。あ、これはVF2以降からか。遺憾ながら私の貧弱な語彙では、その感激を余すことなくお伝えできないのが心苦しくはあるが、とにかくその画面の中では、確かに生きたキャラクター達が存在していた。たとえ顎やら指やら踵やらが刺さるんじゃねぇのかよというほど鋭利に研ぎ澄まされていようとも、たとえラウの斜上掌をカウンターで食らったパイが風船のように宙を舞っていようとも、たとえ全てのキャラクターのジャンプ力が2mを遙かに超えていようとも、生きているったら生きているのである。
そんなこんなでセガAM2研の目論見通りにVFにハマった私は、その後も次回作が出るたびに、順当にハマり続けていくこととなる。VF2を初めて見たときは、身震いすら覚えた。これを超えるゲームがこの後登場するのかとすら訝しがった。まだWebが普及していなかった当時、隠し技情報はNewsgroupが一番早かったので、大学での情報処理の講義中は、ひたすらfj.rec.games.video.arcade.kakutouを読み漁ったものだ。旅先では必ずゲーセンを探し、「一人全国行脚」などと勝手に思いこんでいたりもした。実際には全国各地で負けを重ねていただけだったが。
そして、VF3のロケーションテストが執り行われているとの噂を聞きつけたときは、唯一の開催地であるお台場まで足を運んだ。その究極とも思えるグラフィックに圧倒されつつ、またも負けを重ねまくっていた。VF3が全国リリースされた後は、自分のサイト内に攻略ページまで立ち上げたほどだ。今読み返してみると、誰が読むんだこんなヘタレ攻略、と自嘲的な笑いを禁じ得ないような内容ではあるが、若気の至りということでご容赦頂きたい。
VF3tbがリリースされてからしばらくたった後、私は就職し、以前のように毎日ゲーセンとはいかなくなった。それから数年、VFシリーズの新作の噂はちょくちょく耳にしたものの、現物がお目見えすることはなかった。そしてゲーセンでは、リズムに合わせて叩いたり飛んだり跳ねたり振ったり踊ったりするような軟派なゲームどもが幅を利かせていた。格闘ゲームも絶滅したわけではないものの、一時期のような破竹の勢いは完全に失われていた。「俺もそろそろ、ゲーム人生卒業かな」。そう考えたりもしながら、マーヴルVSカプコン2で小学生にボコボコにされるような無為な日々を過ごしていた。
しかし、それは遂に姿を現した。満を持して。『バーチャファイター4』。夢にまで見、待ち望んでいたものが、現実となる日が訪れたのだ。
7月中旬、幸運にも私の会社からほど近いゲーセンが、全国10カ所程度のロケテスト開催地の一つに選ばれていた。仕事も早々に切り上げ(たことにして)、はやる心を抑えつつ、広島GIGOへと向かう。そこには紛れもなく「彼ら」がいた。アキラと愉快な仲間達。それに聞き慣れた「フッフッハッ!」「イーン!」「オイエー!」等の叫び声。帰ってきたんだね…君たちも。そして僕も。などと感慨に浸る間もなく、私の精神テンションは強引に学生時代に引き戻された。日々の全てを100円玉に賭けていた、あの当時にだッ!冷酷!残忍!その俺が貴様等を倒すぜッ!…との叫びも空しく、私の操るラウはことごとくリング(もしくはリング外)に血反吐をぶちまけていた。やはり気力だけで勝てたら苦労は無いのである。
その日以来、私の生活は再びゲーセンを中心に回りだした。平日はいかにして移動の合間に「ゲーセン時間」を組み込むかを試行錯誤し、場合によっては打合せに遅刻もやむなしの心構えである。先週などあやうく新幹線に乗り遅れる所であった。終電に乗り遅れたことならすでに何度かあるが。また、買い物をするときには、なるべく100円玉が多くもらえるような支払い方をするよう留意する。たとえば、650円の買い物をするときは、1,150円ではなく1,050円支払う、といった具合に。さすがに、「あの、お釣りの1,000円を札じゃなくて全部100円玉でもらえませんか」とまで云う度胸はまだ無い。そして、出張等の際にはあらかじめ行き先の都市のゲーセンを全てチェックしておく。すでに広島・三宮・池袋・渋谷・横浜の各VF4設置店はほぼ網羅した(そしてそのほとんどで負け数を積み重ねていった)。今後も全国各地のゲーセンで、(私自身の)恐怖の悲鳴を轟かせてゆくことだろう。
ただ、一つだけ残念で仕方がないのが、VF1の頃から現在に至るまで、最良のVF仲間であり、ライバルであった友人の一人を、永遠に亡くしてしまったことである。それがVF4ロケテリリースの直前であったのが、なんとも悔やまれる次第である。彼にVF4のその画面(特にサラの揺れる乳)を、一目見せたかったのだが―。などと云ってももはや詮無きことなので、今日も私は一人ゲーセンに向かう。二人分のVF.NETアクセスカードを持って。